アメリカで1本45,000円の羊羹が完売!?常識を覆した和菓子店|常陸風月堂 藤田浩一さん

それが今や、世界で45,000円の羊羹を完売させる成果を叩き出している。藤田さんがヒット商品を生み出せたきっかけは何だったのか。その答えは、和菓子とはまったく無縁の場所にあった。この軌跡を辿ることで、商品を、会社を、そしてあなた自身を武器に変えるヒントが見つかるかもしれない。

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代表取締役 藤田浩一さん


株式会社常陸風月堂

転機は、外の世界に踏み出した瞬間に訪れた

藤田さんは、茨城県日立市で代々続く和菓子店の息子として生まれた。専門学校を経て、神奈川の和菓子店で5年間修行を積んだ。朝起きてから寝るまで、ただひたすら和菓子作りに打ち込む生活。

26歳で実家に戻ると、やれることが沢山あるように思えた。実家の和菓子店のメニューは昔から変わっていない。修行で会得した和菓子作りの豊富な技術や商品アイデア。実家で試してみたかった。物珍しいお菓子なら、お客様が買ってくれると信じて。

藤田さんは次々と施策を打ち始める。毎月季節の生菓子を展開し、SNSで発信。だが、売上が伴わなかった。
「自信を失っていきました。自分のやってきたことは間違っているのかと考える日々でした」

行動はしていた。技術も磨いてきた。なのになぜ届かないのか——その答えが見つからないまま、月日だけが過ぎていった。

新しい商品を作っては売れ残る日々。廃棄となる商品の原価が経営を圧迫していった。父からは、藤田さんを心配するあまり、「店を潰す気か」と厳しい声をかけた。誰にも肯定されない日々のなかで、孤独感は深まるばかりだった。26歳から32歳まで6年もの間、藤田さんは出口の見えないトンネルの中にいるようだった。

転機は突然訪れた。知人に勧められて、和菓子専門のコンサルタントが主催するセミナーに参加したときのことだ。「君の和菓子への考え方は良いと思う」講師の人に言われた肯定の言葉。実はこの一言が、1本45,000円の羊羹を完売させるまでのきっかけとなる。

セミナーに参加するまでの藤田さんは、周囲からの心配と否定の声に、いつの間にか、自分さえも自分を否定していた。肯定してくれた、たった一人の存在に、どれだけ救われたかわからない。長い時間をかけてすり減っていた自信が、ほんの少し戻ってきた。

その出来事が、藤田さんを外へ向けて動かし始めた。それまで藤田さんは、社外の人に会う機会はほとんどなかった。和菓子職人の朝は、驚くほど早い。午前6時には仕事が始まる。あずきを炊き、仕込みをして、店頭に立ち、閉店後は翌日の準備をする。就寝は22時頃。この生活を繰り返す。

会う人といえば家族、従業員、取引先、常連客だ。異業種の人と言葉を交わす機会など、ほとんど存在しない。技術は先輩職人から学び、価値観も業界の中で受け継がれていく。閉鎖的な環境下では「和菓子はこういうもの」「価格はこのくらいが常識」その常識を疑う理由も、機会もない。停滞したこの状況を打開したい気持ち。そして失った自信を取り戻すために、それから徐々に、店以外の場所に顔を出す機会を増やして行った。

失敗は、次に繋がる出会いを運んだ

業界を越境した、人との交流。続けるうちに、商品をヒットさせるには、マーケティングの視点が必要だと学んだ。藤田さんはグッドデザイン賞への応募を決断。賞こそ取れなかったが、ここで思わぬ出会いがあった。

会場で隣の席に座っていたのは、有名広告代理店のデザイナー。店で和菓子を作る毎日を続けていたら、絶対に出会えない人物だった。2人は意気投合し、一緒に商品を開発することになった。茨城県産の飯沼栗を使った羊羹だ。

デザインを詰めていくうちに、一つの現実が浮かびあがった。原価などのコストを考えると、1万円以上の価格設定でなければとても採算が合わない。「和菓子で1万円以上なんて……」と藤田さんが躊躇したとき、デザイナーはこう言った。

「1万円以上の羊羹って、逆にキャッチーだと思いますよ」

藤田さんは「え?」と思った。そんな発想は、和菓子業界からは絶対に出てこない言葉だった。職人の世界では、高くても3,000円〜5,000円が常識。しかしデザイナーの目には、その「ありえない」が武器に映っていた。

デザイナーと議論を重ねるなかで、藤田さんの中に「できる」という感覚が育っていった。自分が当たり前だと思っていたものが、外の世界では特別なものとして映っている。その気づきが、藤田さんを動かした。

鍛錬と越境が生んだ、600万円を賭ける勇気

商品名は、万羊羹(まんようかん)。飯沼栗を主素材に、デザイナーとともに作りあげた羊羹だ。価格は15,000円に決めた。

価格を決めるのにも勇気が必要だったが、それ以上に、初期投資への決断は簡単ではなかった。開発費は600万円。開発にかかる費用は、年間の利益を大きく上回るものだった。失敗したら挽回にそれなりの時間を要する。周囲の誰もが「正気か」と思っていた。藤田さん自身も揺れていた。それでも、職人としてこれまで和菓子作りに全てを捧げてきた、自分自身への自信が背中を押した。

「和菓子職人としての全ての技術を詰め込みました。素材も超一級品で、これ以上のものはない。これだけやって売れないなら、諦めがつくと思いました」

同じ頃、藤田さんはビジネスコンテストにも出場していた。そこで出会ったのは、さまざまな業界で挑戦を続ける経営者や起業家たちだった。「めちゃめちゃ面白い人ばっかりいるんですよ。チャレンジしてる人の中に自分が入れた、という感覚がありました」

越境するたびに、当たり前の基準が変わった。ビジネスコンテストの場では、商品開発への数百万円単位の投資は、普通のことだった。和菓子の世界にいるだけでは決して出会えなかった価値観が、藤田さんの視野を広げていった。

職人としての鍛錬と、越境で広がった価値観が相まって、藤田さんは600万円の投資を決断した。資金は全額借金をした。後には引けないーーー。

店のスタッフも、父も、懐疑的だった。今までの商品の平均単価は200〜300円。15,000円の和菓子が売れるはずがない——そう思われていた。それでも藤田さんには、越境の先で得た確信があった。業界の外の視点が、この商品に価値があると言っていた。

業界の常識の外に、自分の武器がある

結果は大成功。

クラウドファンディングで販売してみると、2週間で目標額の370パーセントを超え、売上は約130万円を越えた。すぐに茨城新聞、日経新聞水戸版に掲載された。掲載の次の日「新聞をみました」と3本羊羹を買ってくれたお客さんを見た時、店舗スタッフの表情が変わった。

「みんな自信を持ってくれたんです。自分たちの商品が、こんなふうに受け入れてもらえるんだ、って」
その後も新聞やテレビに取り上げられ、売上は3倍になった。

万羊羹はその後、世界に飛び出した。ロンドンのパッケージデザイン賞「Pentawards」で銀メダルを受賞し、台湾での展示を経て、ニューヨークの大型見本市に単独で出展した。ロサンゼルスのポップアップイベント「Japan Village」では、1本45,000円で販売したが、商品は見事に完売した。茨城県日立市の常陸風月堂は、間違いなく世界市場に立っていた。

「26歳の自分に言いたいのは、自分を信じろ。そして外に出ろ。ということだけです」

藤田さんはそう言った。6年間のモヤモヤは、才能の欠如でも努力不足でもなかった。業界の内側しか見えていなかっただけだった。外に出て、外の視点を持つ人と出会ったとき、ずっと手の中にあったものが最大の武器に変わった。

越境したから、うまくいった。踏みとどまっていたら、今はなかった。あなたの業界の「ありえない」は、外から見れば武器かもしれない。あなたは今、どのくらい越境しているだろうか。

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