記事のPoint
- 55人いた社員が30人台まで減った組織崩壊——そこから立て直したのは、大きな戦略ではなく「人に頼る」という決断だった
- 「経営理念は社長一人で決めるものだ」という通説に反し、幹部5人で2年かけて作り上げた、揺るぎない拠り所
- 目的さえ揃えば、やり方は現場に託せる——その先に、国立大卒の新卒採用と業界トップの座があった
今年の春、水工エンジニアリングの入社式に4人の新卒社員が並んだ。茨城大学、宇都宮大学、福島大学など国立大学出身者もいる。いずれも土木工学を専攻した学生たちだ。茨城県の地方企業が、専門職の国立大卒学生に選ばれるようになった。採用できただけではない。既存社員も含めて、人材の定着がうまくいっている。
最初からそうではなかった。数年前、この会社は組織崩壊を経験していた。55人いた社員が30人台まで減り、代表を引き継いだ小林さんは孤独と苛立ちの中で毎日を過ごしていた。なぜ、ここまで立て直せたのか。答えは、強い組織を作ったからだ。採用、そして定着に繋がる強い組織を、代表の小林さんはどうやって作ったのか。

代表取締役 小林裕輝さん
富士ゼロックスで業務改善営業に携わった後、2016年12月に水工エンジニアリングへ入社。父が創業した会社を兄とともに引き継ぎ、2023年に専務に就任。2026年4月に代表取締役に就任した。

株式会社水工エンジニアリング
茨城県水戸市に拠点を置く建設コンサルタント会社。水道・下水道・道路・橋など、地面に潜るインフラの設計を手がける。社員54名、売上6億円。茨城県内の同領域では、業界トップの規模を誇る。離職率が低い点で多数のメディアから取材を受けている。
組織崩壊を立て直すきっかけ

2016年秋、小林さんは父から人生で初めて「お願い」という言葉を受け取った。膵臓がんを患った父からの「兄と一緒に、会社をやってくれないか」という一言だった。建設業の専門知識も、経営の経験も持たないまま、即決で飛び込んだ。父は同年12月に逝去した。一緒に動いたのは、常陽銀行へのあいさつ回りに同行した1度きりだった。
引き継いだ会社は、急拡大の直後。30人だった社員が55人に膨らみ、本社も移転したばかり。だが、創業社長がいなくなった会社は軋み始めた。考え方が合わない人たちの対立が起き、人が次々と辞めていった。55人いた社員は、4年で40人にまで減った。
「とにかく余裕がなかったですね。毎日しんどかったです」
問題が起きる度、その場しのぎの対応をして、また次の問題が起きる。経営の判断基準もなく、毎回不安の中で意思決定する日々だった。孤独で、苛立っていた。それでも辞めなかったのは、父の遺志があったからだ。そのしんどい時期に、気づいたことがある。どんな状況でも、傍で動き続けてくれた人たちがいた。現在の役員たちだ。
「それまでずっと孤独に仕事をしている意識がありました。でも、この人たちになら、頼ってもいいのかなって思えました」
5年後、小林さんが正式に代表就任を決意した瞬間、腹が決まった。
「やるなら会社としての判断の拠り所が必要でした。そして、それを自分一人で作るのではなく、傍にいてくれた人たちと一緒に作りたいと思いました」
みんなで揃えた、会社の根幹

価値観の合わない人たちが自然と去り、残った経営幹部5人で再出発した。
小林さんが決めたのは、経営理念と中期経営計画を経営幹部全員で作ることだった。小林さんが経営者の会に参加して学んできたことを社内に持ち帰り、役員全員で同じワークをやる。休日に月2回集まり、それを2年間繰り返した。
外部の経営者仲間からは「経営理念は社長一人で決めるものだ。一人で決めないのは、覚悟がないからだ」と言われたこともあった。それでも小林さんは、みんなで決める、という意思決定を曲げなかった。仲間と一緒に会社の未来を作りたいと思っていたからだ。
2年間、役員たちは休日を返上して集まり続けた。この会社は何のためにあるのか。自分たちは何を目指しているのか。同じ問いを繰り返すうちに、変化が起きた。それぞれの口から、本音が出てきた。壊れかけた時期を一緒に耐えてきた人たちが、初めて腹を割って語り合った。
「地域のインフラを支える大切な仕事」
「その技術が失われつつある。この技術を守ることが、必ず地域の役に立つ」
経営幹部から口々に、仕事の意義や、会社が目指すものについて意見が出てきた。
「自分たちで決めた経営理念だから、自分たちで実現しようという仲間意識が生まれた。これは、一人でやっていたら絶対に生まれなかったものだと思います」と小林さんは語る。
2年間かけて完成した経営理念には、この会社の使命が刻まれた。茨城のインフラを守り続けること。若い技術者を育て、地域に残し続けること。WHY(なぜこの会社があるのか)とWHAT(何を目指すのか)が、5人の間でようやく揃った。
目的を揃えて、やり方は任せる

WHYとWHATが揃った組織に起きた変化はシンプルだった。HOW(どういうやり方が良いか)を、経営幹部が自分で考えて動き始めた。
経営理念に基づき、人事評価制度をどのように改善するべきか、役員と管理職全員で集まって検討を重ねるようになった。この、より良い評価制度にするには?といったPDCAを回すプロセスは毎年続いている。採用した人の育成カリキュラムを整えるときも、役員が現場の実情から逆算して組み立てた。
“自分のやり方がいいか”ではなく、”会社が目指す方向により近づくには何が最善か”。その問いで動けるようになったのは、幹部全員が同じWHYとWHATを持っていたからだ。
「自分ではやりきれないことを、やってもらっている。だからこそ、彼らには感謝しかないんです」小林さんは静かにそう語った。
強い組織ができたら、何が変わったか

今年の入社式に並んだ4人の出身校を聞けば、この会社の変化が見えてくる。宇都宮大学、福島大学、千葉工業大学の土木専攻。かつては文系の学生がやっと数人という年もあった会社が、専門職の国立大卒学生に選ばれるようになった。
採用できただけではない。定着もうまくいっている。採用の場で伝えたビジョンと、入社後に現場で実践していることが一致しているからだ。WHYとWHATが本物である限り、ギャップは生まれない。
売上は10年前の3億円から6億円へ。自分たちが戦う領域では、今年業界1位になった。強い組織ができたから、採用も育成も機能した。そのきっかけは、人に頼ることだった。人に頼れたのは、目的を揃えることに時間をかけたからだ。
やり方を決めることは、目的が揃ってからでいい。強い組織は、そこから生まれる。採用も、育成も、その先にある。
編集後記
孤独で苛立っていた小林さんが、残ってくれた仲間と2年間かけて経営理念を作った。その話を聞きながら、私は、強い組織ができる背景には、社長が社員を信じて、仲間にして、一緒に進めるというプロセスがあったのだと知りました。小林さんは、「一人では早く近くに行ける。みんなでなら遠くに行ける。」この言葉の体現者だと思います。人を巻き込むことの難しさと、巻き込めた時の強さ。それはきっと、どんな組織でも、きっと同じことだと思います。経営者こそ人に頼ることの大切さ、それを教えてくれた取材でした。(編集部・須貝)
