記事のPoint
- “何でもできます”ではなく”これしかやらない”と決めた——それが全国初、駅ビル内2店舗のスタバ出店を引き寄せた
- 「なんでそこに入れる必要があるんですか」と一度は断られた提案。成功のカギは、相手のビジョンと自分のビジョンを重ねる一言だった
- ビジョンを絞るほど、口説かれる側が、口説く側に変わる——地域書店が起こした逆転劇
「何でもできます」と言った方が、仕事は増える——そう思っていないだろうか。断れば仕事を失う。守備範囲を広げれば、声がかかりやすい。そんな期待が、私たちをいつの間にか「何でも屋」にしていく。
だが、どうやら現実は違うようだ。成果を上げる人ほど、自分の守備範囲を絞っている。株式会社ブックエースの社長である奥野さんもその一人だ。スターバックス社は地方出店の際、同じ駅ビル内に1店舗のみの出店が通例だった。奥野さんはそのルールを突破し、全国で初めて、同じ駅ビル内に2店舗目のスターバックスを誘致した人物だ。
奥野さんはいかにして、やりたい仕事を思い切りできる状態を手に入れたのか。

代表取締役社長 奥野康作さん
京都出身。CCCグループ(TSUTAYA)本部でフランチャイズ事業の関東責任者を務めていたが、2011年の東日本大震災を機にブックエース社の経営を立て直すため、自ら手を挙げて同社に出向した。その後、2014年にブックエース社の代表取締役社長に就任。

株式会社ブックエース
茨城県水戸市を拠点に、書店・複合施設を20店舗以上展開する地域密着型書店。創業時の名前は川又書店で、2026年現在、創業から154年になる。「文化、教育を通じて地域社会の繁栄に貢献する」を経営理念の1番目に掲げ、Amazonとは真逆の体験価値で独自路線を走る。
崖っぷちから始まった「地域密着」への覚悟

2014年、奥野さんが社長に就任してまもなく、JR東日本が運営する水戸駅ビルのテナント担当者から連絡が入った。「出て行って。東京の有名チェーン店の本屋を呼ぶから」
話を聞くと、駅ビル自体の集客力を上げたいため、有名チェーン店が展開する、明るく新しい印象の書店を入れたいとのこと。確かに、当時の店舗は内装も昔と変わらず古い印象で、本の売れ行きも良くなかった。しかし、奥野さんの中に悔しさがあった。
「水戸の駅前に、地元の書店がない。そんなことがあってたまるか」
2011年にブックエースに出向してから、奥野さんは40すべての店舗を巡り、各店の店長と一人ひとり向き合い続けた。評価制度を作り、会議体を設計し、「ここまではあなたが決めていい」という権限規定表を整えた。現場が自ら考えて動ける仕組みを一から作り上げた3年間だった。
その日々の中で、奥野さんはあることに気づいていた。
「おじいさんとの初デートは川又書店だった。そう話すお客さんに出会いました。ブックエースには、前身の川又書店から約150年間積み上げてきた、地域からの信頼と想い出があります。書店は地域にとって、昔から文化と教育の発信地でした」
ブックエースにあって、東京のチェーン店にないもの。それは地域との繋がりだった。顧客からは信頼され、ブックエースもまた、地域に貢献したいと強く思っている。だからこそ、水戸駅ビル内の本屋枠を東京の企業に明け渡すのは嫌だった。それは経営判断というより、もはやプライドだったのかもしれない。
JRから出された店舗継続の条件は、東京のチェーン店にコンペで勝つこと。本を通して地域に知的な方を増やし、地域社会の発展に貢献したい。この想いを軸に、奥野さんはもう一度問い直した。どうしたら地方に本を読む人を増やせるだろうか?
さらに当時、インターネットの競合であるAmazonも台頭していた。本屋の意義とは何か。答えは「空間」だった。実際に来て、座って、本を手に取る。その体験こそが、リアルな書店だけにできることだ。
2度断られて気づいた「相手のビジョンと重ねる」こと

プレゼンの切り札として、奥野さんはスターバックスを連れてくることを決めた。本とコーヒー。空間価値という軸で考えたとき、これ以上の組み合わせはなかった。スターバックスの本社を訪ね、一緒にやってほしいと伝えた。答えはあっけなかった。「2階に店ありますよ。なんでそこに入れる必要があるんですか」
正直、悔しかった。でも帰り道に思った。相手が聞きたいことを、まだ言えていない——と。改めて、スターバックスが大切にしているコンセプトを頭に思い浮かべた。「サードプレイス」——家でも職場でもない、第三の居場所。「これは、自分たちが目指している空間価値と同じだ」
再び本社へ連絡を取り、2度目の面会の機会を作った。今度は全部変える覚悟を持って行った。ロゴも変えます、ブックカバーも変えます、内装も全部リニューアルします。そして最後にこう言った。
伝えたのは、シンプルなことだった。スターバックスが大切にする“サードプレイス”と、自分たちが目指す空間価値——ゴールは同じ。だからこそ、「あなたたちとじゃなきゃ、ダメなんです」相手のビジョンと、自分のビジョンを重ねた瞬間だった。
3回目は飲みに行った。「やりましょう」——その一言が返ってきた。全国初、駅ビル内2店舗の誕生だ。椅子までともにデザインし、本を読むのに最適な空間を作り上げた。女性客は2倍、売上は1.4倍。赤字だった店が、黒字に転じた。
ビジョンがあるから口説かれる

全国初の実現から数年後、常陸太田市市長から直接オファーが届いた。「地域に若い人を増やしたい。社会課題を一緒に解決してほしい」。市民にアンケートを取ったところ、地域に欲しいものの第1位は「書店」だった。
奥野さんは迷わず「わかりました、やります」と答えた。迷わなかったのには理由がある。「文化と教育を通じて地域に貢献する——それ以外の事業はしない」と、すでに決めていたから。ビジョンが絞られていると、決断に迷いがない。
市はこうも言った。「スタバにも来て欲しいが、断られた」と。奥野さんは「では一緒に行きましょう」と答え、こう続けた。
「地方都市が抱えている課題は、日本全国が抱えている課題です。あなたたちがここで出ることで、他の地域にも展開できる可能性ができる。だから一緒にやりましょう」
かつて自分がスタバに言ったのと、同じ構造だった。相手のビジョンと自分のビジョンを重ねて、人を動かす。市長に口説かれた奥野さんが、今度はスタバを口説く。口説かれた側が、口説く側になる——それを可能にしたのは、「何のためにやるのか」が言語化されていたからだ。
結果、スターバックスはブックエースと共に、常陸太田市に出店を決めた。またしても、ビジョンが人を動かしたのである。
絞るほど、やりたい仕事が集まってくる

「何でもできます」と言い続けた先には、何が待っているだろうか。
薄く広く対応できる人は、確かに声がかかりやすい。だが裏を返せば、誰にとっても「この人でなければならない理由」がない。仕事は増えても、自分がやりたい仕事は増えない。いつの間にか、何がやりたかったのかすらわからなくなっていく。
一方で「これしかやらない」と決めた人には、別の現象が起きる。同じビジョンを持つ人が集まってくるのだ。奥野さんの”文化、教育を通じて地域社会の繁栄に貢献する”というビジョンが、スターバックスを引き寄せ、常陸太田市と一緒に仕事をする機会をつくった。ビジョンは人を動かし続け、「あなたとしかやりたくない」という依頼が来るようになる。そしてその依頼は、時間とともに大きくなる。
絞ることは、仕事を失うことではない。むしろ、やりたい仕事が集まってくる磁力を手に入れることだ。勇気を持って、やりたいことを決めてほしい。まず1文でいい。「自分は何のためにやるのか」——その言葉が、最初の口説きになる。
編集後記
これだけ明確なビジョンを語る奥野さんですが、最も印象に残ったのは、実はそれが最初からあったわけではないという点でした。震災後に水戸へ渡り、40人の店長と向き合い、地域の人たちの声に耳を傾け続けた日々。その積み重ねの中で、少しずつ言葉になっていったものが、“空間価値のあるホスピタリティのある書店を目指す”そして“地域を笑顔に元気にできる会社”というビジョンでした。ビジョンを持つことが先ではなく、目の前の仕事に誠実に向き合うことで、自分が何者で、どこへ向かいたいのかが見えてくる——奥野さんはそのプロセスを体現している方でした。やりたい仕事で手一杯、と笑顔で話すその表情が、とても印象的でした。(編集部・須貝)
