「観光じゃない、学びだ」——候補にすら入らなかった茨城が、有名私立の修学旅行先になるまで

起業家の話を聞くと、決まって原体験が語られる。幼少期の挫折、社会への怒り、誰かを救いたかった記憶。やりたいことが先にあって、それを実現するために事業をつくった——そういうストーリーが起業家の物語として、私たちに刷り込まれている。

だが、アーストラベル水戸の尾崎精彦さんの歩みはその逆だ。

やりたいことを探していたわけではなかった。強烈な原体験があったわけでもない。それでも今、尾崎さんには”修学旅行を教育旅行に変える”という明確なビジョンがある。

東京から100km圏内に日光、鎌倉、富士急ハイランドなど世界遺産や人気の観光地が揃う中、茨城は選択肢にすら入らない場所だった。それが今や、誰もが知る都内の有名私立中学・高校が、修学旅行の行き先に茨城を選ぶようになっている。尾崎さんは、その変化をつくった人物だ。

尾崎さんは、いかにしてビジョンを手に入れたのかーー。

DOITER

代表取締役 尾崎精彦さん


アーストラベル水戸株式会社

旅行会社は、10年同じ旅をくり返していた

「大学の先輩が楽しそうに働いていたから」

新卒の尾崎さんが旅行代理店の門を叩いたのは、シンプルな理由だった。特別な志があったわけでも、業界を変えてやろうという野望があったわけでもない。目の前の仕事に誠実に向き合い、お客さんに喜んでもらうことを繰り返す毎日。その中で育まれた、この仕事が好きだという気持ち。

ただ一つだけモヤモヤしていた。旅の中身が変わらないのだ。特に修学旅行。もっと良い体験を企画したいと思っていても、業界の慣習の中では、去年と同じ行程がそのまま翌年に引き継がれていく。先生たちも忙しい。変えるコストより踏襲するコストの方が圧倒的に低い。気づけば10年、旅の中身は更新されていなかった。

「本当はもっと良い旅を企画したい」

そんな想いを胸にフリーランスとして独立した尾崎さんは、縁あってアーストラベル水戸の仕事を受けていた。

「観光じゃない、学びだ」——コロナ禍で始まった修学旅行の再定義

2020年、新型コロナウイルス蔓延下の緊急事態宣言により、県をまたぐ旅ができなくなった。担当の先生から連絡が来た。

「今年、子どもたちの修学旅行先を、茨城県内で企画してほしい」

地元の観光施設を手配して、それで終わりにすることもできた。実際、そうした旅行会社も多かっただろう。だが尾崎さんは、そこで立ち止まった。

「あれ? 修学旅行って、これでいいんだっけ?」前職で感じたモヤモヤが脳裏に浮かぶ。

「修学旅行は観光旅行のようなものが多いけど、本当は大事な学びの機会なんじゃないか?だとしたら、子どもたちにとって最良の学びとは何だろう?」

課題を自分ごとで考えたとき、その問いが頭から離れなくなった。求められたことに精一杯応えようとしてきた尾崎さんの仕事へのスタンスが、背中を押した。

「何が学べるか」という視点で茨城を見直したとき、見えてくるものがあった。農業・食料・環境分野の国内最大級の研究機関、農研機構。筑波大学を中心に生まれたスタートアップ群。ドローンで農地を管理し、人工衛星から作物の発育状況を把握する次世代農業の最前線が、ここにある。

一次産業の現場としても、茨城は類まれな県だ。鉾田市は野菜の産出額が日本一の市町村であり、高品質な農産物をつくる農家が各地に点在する。最先端の科学技術と、大地に根ざした生産現場。その両方を子どもたちが実際に見て、働く人の話を聞ける。

日光が「過去の遺産」なら、茨城は「未来と現場」だ。世界遺産に対抗できる武器が、足元にあった。

コンテンツを集める過程で、鉾田市で苺を生産する村田農園を訪ねた。その経営者はこう語った。

「農業を次世代に繋ぐために、かっこいい農家を目指している」

儲けるためでも、規模を追うためでもない。農業という仕事の価値を次の世代に手渡したいという思いで経営している。その言葉に、尾崎さんは動かされた。

「子どもたちに見せたいのは、こういう大人だ。観光地を巡るより、本気で仕事をしている大人の熱量に触れる方が、よっぽど子どもたちの心に残る」そう確信した瞬間だった。

ビジョンは固まった。だが、実現するためには二つの壁があった。一つは企業側だ。「なぜ、子どもたちのために時間を割くのか」事業インパクトの見えにくい企業訪問を受け入れてもらうには、地域への思いに共鳴してもらうしかない。尾崎さんは、経営者に会いに行き続けた。

もう一つは学校側だ。「前例がない」という壁は、教育の現場では特に厚い。先生たちに「なぜ茨城なのか」を説明し、モニターツアーで実際に体験してもらうことを繰り返した。勢いと行動量で、両方の壁を突破していった。

コロナが明けても、尾崎さんは「茨城」を売り続けた

修学旅行の行き先は、多くの場合、出発地から100キロ圏内で選ばれる。東京を起点にすれば、日光、鎌倉、富士山・河口湖。茨城はその圏内に収まっているにもかかわらず、候補に上がりすらしない県だった。地図の上には存在しても、先生たちの頭の中の選択肢には存在していなかったのだ。

コロナが明け、全国への移動が再開されたとき、尾崎さんは茨城の教育旅行を都内の学校に持ち込んだ。最初の反応は正直だった。

「茨城って、何かあるんですか?」

だから、まず来てもらうことに集中した。モニターツアーで実際に体験してもらえれば、良さは伝わる。一校ずつ、一人ずつ、足を運んで説明した。

転機になったのは、都内の有名私立中高一貫校が修学旅行の行き先に茨城を選んだことだった。その事実が、次の学校への説得材料になった。「あの学校が選んだなら」という信頼が、じわじわと広がっていった。

教育旅行の支持が広がるにつれ、事業も着実に育った。アーストラベルの売上は年間3億円に達し、社員は10名ほどになった。

だが尾崎さんが語るとき、数字よりも先に出てくるのは子どもたちの話だ。農研機構の研究者の話を聞いた中学生が目を輝かせた瞬間。農家の経営者の言葉に「こういう仕事がしたい」と言った高校生。そういう場面を積み重ねるうちに、気づいたら「茨城の教育旅行を広めたい」というビジョンが自分の中にあった。

最初から持っていたわけじゃない。ビジョンは後から育ってきた。

目の前の仕事に向き合うことで見えた、自分のやりたいこと

尾崎さんの歩みを振り返ると、自己実現のイメージが少し変わる。私たちはつい、「やりたいことを見つけてから動く」と考えがちだ。先に情熱があって、それを原動力に事業をつくる。それが起業家の正しい順番だと。

だが尾崎さんは、そうじゃなかった。やりたいこと探しの旅に出たわけでも、強烈な原体験があったわけでもない。

先生から相談を受けて、目の前の課題に向き合った。どうすれば子どもたちに価値を返せるかを考え抜いた。その過程で、修学旅行の意味を問い直し、茨城の魅力を発見し、教育旅行というかたちをつくった。ビジョンも情熱も、課題に向き合う中で育ったのだ。

やりたいことがわからない。新規事業のテーマが決めきれない。そんなとき、私たちはつい、自分の内側に答えを探しにいきたくなる。もちろんそれも大事だろう。だが、もしかすると必要なのは、答えのないままでも、目の前の課題にもう少し深く向き合ってみることかもしれない。

引き受けた課題に本気で向き合ったとき、自分でも知らなかった情熱が立ち上がってくることもある。

「やりたいことを探す旅」に出なくていい。今、目の前にある仕事に、もう少しだけ深く向き合ってみることから始めていい。尾崎さんの6年が、静かにそう語りかけている。

関連記事