何者でもない若者を世界トップクラスの干し芋メーカーにさせた、1億7000万円の投資

DOITER

代表取締役社長 鬼澤 宏幸(おにざわ・ひろゆき)さん


株式会社 幸田商店(こうだしょうてん)

シュリンクするなら、市場を創りに行けば良い

鬼澤さんが家業に入ったのは32歳のとき。その前は、国分という商社で10年間修行をしてきた。この間、海外展開、マーケティング、商品開発と、売る力と作る力を徹底的に叩き込まれてきた。

干し芋の生産をしていた父の会社を継ぐことを決め、家業に戻った時、会社は家族とパート2名の、よくある農家だった。マーケティングに明るい鬼澤さんの目には、このまま同じことを続けても、人口減少とともに干し芋産業の市場が先細りする未来が見えていた。

「会社を継ぐと決めたからには、何とかしないといけない」

そこで考えたのが、干し芋の価値の転換だった。年配向けの冬の脇役から、20〜30代の若い女性が手に取る、健康的なおやつへ。

「干し芋は栄養価も高く、食物繊維も豊富。健康的な食べ物を欲している若い女性にウケると思ったんです。しかもまだ誰も気づいてない。チャンスに見えました」

今はまだ無い市場を創るーーー。これは大きなチャレンジだ。未開の地を切り開くには、それなりの覚悟が必要だった。まず必要なのは商品だ。当時の茨城産の芋だけでは、狙った味や食感、そして手に取りやすい価格を実現するのは難しかった。鬼澤さんは、まず一歩踏み出す行動に出た。世界最大のサツマイモ産地である中国を目指し、海を渡った。

中国での大きな壁

中国は、世界のサツマイモのシェア70%を誇る巨大産地。ここで理想の干し芋をつくるための品種探しを始めた。前職の商社のつながりを辿りながら、ひたすら産地を歩き回った。企業に、人に、そして芋に会い続ける日々を過ごした。

「これ以上探しても見つからないと思う時もあった。それでも、干し芋の市場は広げられるという、自分のビジネス感覚を信じたかった」

半年後、ついに理想の品種に出会った。食感も味も、そして価格も、まさしく干し芋に適している。

「これだと思った。半年間歩き続けて、ようやく理想の原材料に辿り着いた」

──はずだった。
しかし、次の壁はもっと大きかった。衛生・品質管理の基準をクリアし、干し芋の加工を任せられる現地の農業法人が見つからない。当時の中国は、品質管理の文化がまだ乏しかった。

ここで多くの人は、こう言うだろう。
「だったら、別の国にしよう」「国内原料で作れる範囲で妥協しよう」「まだ市場もないし、今はやめよう」

でも鬼澤さんは諦めなかった。
「だったら、現地に自社加工場を造れば良い」

パートナーとして選んだ現地企業と合弁会社をつくり、自社の加工場を建てることを決めた。検品は日本で行う必要があったため、日本にも工場を建てる必要があった。それはつまり、巨額投資の覚悟を持つということだった。

1億7000万円の勇気──自分を信じたから一歩踏み出せた

55万ドル。当時の日本円で約7000万円。
この金額を投資すれば、中国に自社の加工場を作れる。更に、日本国内の検品工場の建設費用は1億円。合計1億7000万円の投資判断を迫られた。

干し芋が若い女性に健康食品として消費される未来のためには、必要な投資だった。小規模な複数の農家が作る干し芋を買い集めて販売する従来の生産体制では、品質を安定させるのは難しく、価格も高い。市場を広げるには商流を変える必要があり、大規模な干し芋加工場を作る必要があった。

ただし、ここが肝だ。その市場は、当時の日本にはまだ無い。勝てると分かっている低リスクの投資ではない。完全なる先行投資だった。当時の幸田商店は社員数も10人程度、他に売上を牽引するヒット商品があるわけでもない。このタイミングで7000万円。まさに社運を賭けた決断。

「不安が無かったと言えば嘘になる。この状況での投資判断は誰だって怖いですよ」

さらに当時、この成功の確証が無い事業に融資してくれる銀行は無かった。両親の自己資金に頼る以外の選択肢はない。失敗すれば、会社どころか、家族にまで苦難を強いることになる。それでも鬼澤さんは、決断した。背中を押したのは、今までの自分が積み重ねてきた行動だった。

「10年間、商社でもがきながら培ったビジネス感覚。スーパーや消費者、生産者に重ねたヒアリングの数々。そして中国で原材料を探し歩いた半年間。全ての行動が、“努力の結果、必要な情報は揃った。今なら決断しても良い”と語りかけてくるようでした」

鬼澤さんは出来得る全てのマーケティング調査を重ねた。売れる確証が持てるまで、何度も。だからこそ、自分を信じ、勇気ある一歩を踏み出した。

「何が何でも、絶対にやり遂げてみせる」

まさに、慎重かつ大胆な決断だった。

あれから30年──日常になった干し芋

あれから30年。今や干し芋はコンビニでも買える。干し芋アイスなど、加工品にも広がり、甘くて美味しい、健康的なスイーツというイメージで、若い女性に当たり前に消費される。

あの時の1億7000万円の投資が、日本の干し芋市場を切り開いたのだ。

安くて美味しい干し芋は日本市場に広がり、ムーブメントを引き起こした。火付け役として活躍した幸田商店は、一早く参入したことによる先行者利益はもちろん、徹底した品質管理が評価され、良品計画やコンビニなど大手の小売店から声がかかり、世界トップクラスの干し芋メーカーへと成長した。

さらに、波及は自社の成功だけで終わらなかった。干し芋自体の市場が広がったことで、地元茨城のサツマイモ農家はブームに乗り、新規就農者も増えているという。当時、中国のサツマイモを使ったことを良く思わない周辺の農家もいたが、鬼澤さんが信念を貫いた結果、多くの農家を助けることが出来ている。

「30年やってきて、やっとここ2〜3年で花開き始めた」

鬼澤さんは、静かにそう語った。
派手な武勇伝じゃない。まだ無い市場を創るとは、成果が出るまでの長い時間を引き受けることでもあった。

ただ、間違いなく、あの決断がなかったら今の干し芋市場は無かっただろう。まだ何者でも無かった若き日の鬼澤さん。その青年の行動力と勇気ある一歩が、今日の沢山の人の笑顔を作ったのだ。

須貝 文音

こんにちは。DOITERの編集長をやってます、須貝です。かつては東京のIT企業で、新規事業の事業責任者をしていました。立ち上げたサービスは花の定期便。実家が花農家だったもので。そんな訳で0→1が好きです。プライベートではコロナ禍を機に、家族と地元行方市に移住。コンクリートジャングルから田んぼの平原へ。環境の変化をものともしない子ども達はすくすく成長中。虫取り三昧な日々。地方の企業を取材したり、コラムに書いてみたり。「地方が、なりたい自分になれる場所・ありたい自分でいられる場所になったらいいな」。そんな思いを胸に、肩の力を抜いた言葉で届けていきます。

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