9年で売上を10倍に成長させた地方の自動車会社・小野瀬自動車。その躍進の裏には、「人に期待する」というシンプルでありながら、極めて難易度の高いマネジメントを9年以上貫いた社長の存在がある。人は時に、期待を裏切る。変わりたくても変われないこともある。それでも、小野瀬征也さんは9年間、社員一人ひとりを信じ、期待し続けてきた。なぜ、それができたのか?その背景には、小野瀬さん自身の「原体験」と「経営哲学」があった。

代表取締役社長 小野瀬征也(おのせ ゆきや)
茨城県ひたちなか市出身、1984年生まれ。3代目として家業を継承し、経営再建に挑んだ経営者。日立一高卒業後に都内の大学に進学。卒業後はSMBC日興証券に就職し経済と金融と営業を学ぶ。続いてリクルートで企業を人材で支援し事業ビジョンを達成に導く人材紹介事業を通じて人材と組織運営を学んだ後、2016年6月、Uターンして家業を継いだ。リクルートの「組織」の知見を活かし、組織改革を実践。社員数を6倍、年商9倍にまで成長させ、短時間車検、輸入車、レンタカー、福祉車両、コーティング、保険事業など、多角的サービス展開を成功させている。

小野瀬自動車株式会社
茨城県ひたちなか市に拠点を構える小野瀬自動車株式会社(旧オノセモータース)は、1954年創業。車検、点検、修理、鈑金塗装、新車・中古車販売、買取、レンタカー(約150台)、自動車保険など、カーライフに関わるあらゆるサービスをワンストップで展開。年間入庫台数は約2,100台→10,200台に急成長。現在は従業員40名(パート・アルバイト含む)体制で、地域の安心と信頼を支える“くるまの町医者”として、地域密着かつ技術と心を大切にしたトータルカーライフサポートを提供している。
コンプレックスと向き合った、大学受験の失敗体験
小野瀬さん自身も、コンプレックスを抱えていた一人だ。県内でも有数の進学校とされる日立第一高校に見事合格し、将来を期待されていた。しかし、大学受験では思うような結果を出せず、父親と同じ大学には届かなかった。進学校の環境では、周囲が次々と有名大学に合格していく。その中で、小野瀬さんは「なぜ自分だけが」と、どうしても他人と比較してしまう日々を過ごしたという。
だが、彼のすごいところは、そこで気持ちが折れなかったことだ。「このままで終われるか」。そんな強い気持ちが、次の一歩を生んだ。失敗を取り返すべく、誰よりも真剣に就職活動に取り組んだ。通っていた大学の枠にとらわれず、あえてレベルの高い大学の学生たちと積極的に関わるようにして、自らの視野とマインドを上げた。
その努力が実を結び、大手の証券会社から内定を得ることができた。この成功体験が、「行動こそに価値がある。たとえコンプレックスがあっても、努力し信じて誰よりも行動し続ければ乗り越えられる」という信念へとつながっていく。
リクルートで出会った、「自己実現」の価値観

小野瀬さんにとって、人生の針路を変えるもうひとつの原体験がある。それはリクルートという“異世界”との出会いだった。入社してわずか2週間。ある先輩社員に何気なく問われた一言が、心の奥深くに突き刺さった。
「小野瀬さんが人生を通じて“やりたいこと”は何ですか?」
その瞬間、小野瀬さんは言葉を失った。前職の証券会社では、個人の想いや夢に意味はなかった。「今月のノルマをどう達成するか」が唯一の指標だった。やりたいことではなく、やらねばならないことを積み上げる世界。だからこそ、「やりたいこと?」という問いは、あまりにも異質だった。「まずは成果を出してから考えます」と答えた小野瀬さんに、先輩は優しく、しかし確信を持って言い返した。
「違うよ。成果は、自分の“なりたい姿”に近づくための手段なんだよ」と。その価値観の転換は、雷に打たれたような衝撃だった。リクルートでは、誰もが“自分の人生”と真剣に向き合いながら、圧倒的な努力を重ねていた。そして驚くべきことに、彼らはその努力を「楽しんで」いたのだ。
誰かに強制されるのではなく、自らの未来のために汗を流す。「この空気をつくることこそが、経営者の仕事なんだ」そう確信したとき、小野瀬さんの胸にひとつのビジョンが芽生えた。「自分も、こんな組織をつくりたい」──社員一人ひとりが、“自分の人生”と向き合い、目を輝かせて働く組織。それは、いつか自分が家業を再建する時の、絶対に譲れない軸になっていった。
地域から日本を元気にする、それが自分の使命

努力すればコンプレックスを乗り越えられる──そう確信した大学時代。そして、人は“自己実現”を目指すときこそ、最高の努力を楽しめる──そう実感したリクルート時代。この2つの原体験が、小野瀬さんの経営の軸をつくっていった。
彼には、明確な“夢”がある。それは、かつての自分のように、コンプレックスを抱えた人々の“希望”そして”勇気”になること。そして、そんな人たちが輝ける場をつくることで、地域から日本全体を元気にすることだ。その想いの根底には、もうひとつの大きなコンプレックスがある。家業の廃業だ。小野瀬さんの父は自動車ディーラー業を営んでいたがバブル崩壊の煽りを受けて倒産した。その光景は、強烈な原体験として残っている。

「倒産と聞けばネガティブですが、見方を変えれば、あれは、父がチャレンジした結果だったと思っています。チャレンジしない経営者は倒産という経験も出来ません」。無謀な挑戦ではなかった。バブル期という時代の波を読んだ、勇敢な一歩だった。だからこそ、小野瀬さんはその父親のチャレンジを自分の人生を通じて“意味あるもの”にしたいと願った。
「父の挑戦を“ナイスチャレンジ”に変えることが、自分にとっての本当の挑戦だ」
そう決意し、倒産した家業を引き継ぎ、再建に乗り出した。廃業から立ち上がった地方企業の存在は、同じように悩む全国の中小企業にとって、希望の光になる──そう信じている。そしてそれは、社員一人ひとりにも当てはまる。学歴や過去にコンプレックスを抱えていた社員たちが、自分を認め、イキイキと働く姿を見せることで、同じように悩む誰かに勇気を与えられると信じているのだ。
「自分が本当にやりたいのは、“あなたを頼ってよかった”“あなたと出会えてよかった”と思ってもらえる組織をつくることなんです。社員に幸せになってもらいたい。それが自分にとって一番楽しい。生きてる実感が沸くんです」
そんな組織をつくり、育て抜くこと。その先にこそ、日本の地方企業の希望があると、小野瀬さんは信じている。
編集後記:小野瀬さんが教えてくれた、DOITERの“なりたい世界”
小野瀬さんの話を聞きながら、私は確信しました。この人こそが、DOITERが掲げる“なりたい世界”の実現モデルだと。経営者が、自らのなりたい姿に向かって真剣に行動している。その姿に触れた社員たちは、目を輝かせてイキイキと働き始める。仕事が楽しくなり、やりがいが生まれ、その空気はやがて家庭にも伝わる。子どもたちが、そんな親の背中を見て育つ。そうして、地域の空気が少しずつ変わっていく。DOITERが目指しているのは、そんな地方の経営者たちの挑戦が連鎖し、日本全体に広がっていく未来です。だからこそ、私たちは挑戦する経営者を全力で応援したいと思っています。その第一歩に、小野瀬さんのような存在が、これからも沢山生まれていくことを願って、これからも取材を続けます。
