無給半年の決断と60年ぶりの火入れ――“攻めの守り”戦略|明利酒類 加藤喬大

明利酒類株式会社 加藤喬大(かとう・たかひろ)常務取締役
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常務取締役 加藤喬大(かとう・たかひろ)さん


明利酒類株式会社

延命では終われない―博報堂を辞め、家業を救った半年―

加藤さんは広告代理店・博報堂に勤め、東京でマーケティングやCM作りの仕事をしていた。充実した日々。しかし、コロナ禍が彼の人生を変えた。家業の明利酒類が、コロナの影響を受けて売上が半減。販売先の飲食店が営業自粛に追い込まれたためだ。これにより家業は経営危機に直面していた。

「実家の危機を聞いた時に、真っ先に家族と会社を守りたいと思いました。当時不足していたアルコール消毒液を作ることで、家業の助けになり、社会貢献にも繋がると考え、博報堂をやめて会社を継ぐことにしました」

不足する消毒液と、お酒の原料となるアルコールの貯蔵力、社会貢献をビジョンとする明利酒類の理念。三つの点が頭の中で一直線に結ばれた瞬間だった。実家に戻り、新しい肩書は“社長室長”。しかし報酬はゼロ――会社を助けたいという思いで、半年間無給で働いた。家族とも社員とも約束したのはただひとつ、「必ず会社を立て直す」。

アルコール消毒液を事業化するにあたり、“日本の公衆衛生に貢献する”という新たなビジョンを策定した。そしてスピード感をもって、医薬部外品の免許を取得し、MEIRIの消毒液をリリース。新規事業の成功可否は、タイミングの影響を大きく受ける。スピーディーな決断と行動力で見事に時勢を掴み、経営危機を脱することが出来たのだ。

六十年ぶりの火入れ

消毒液の販売で経営危機を脱した加藤さんだったが、次の売上の柱を作りたいと考えていた。加藤さんが次の柱として選んだのは、ウイスキー事業だった。実は1950年代に、明利酒類は蒸留に挑み、工場火災で断念したという歴史がある。

「歴史あるウイスキーの蒸留にこそ、もう一度挑戦すべきだと思った」

加藤さんはそう言う。理由は三つあった。第一に、国内外でクラフトウイスキー市場が伸びており、次の収益の柱になり得ること。第二に、清酒造りで培った酵母研究や樽貯蔵の知見が、そのまま差別化の武器になること。そして第三に、挑戦そのものが社員の誇りを呼び覚ますと考えたからだ。

加藤さんは何かものを創る時は独自性を大事にする。

樽は、国産ミズナラ樽に加え、梅酒樽(プラムワイン樽)で熟成させることに決めた。また清酒酵母で培った発酵技術をウイスキーにも応用し、独自のウイスキー酵母をつくるという。

全国の蒸留所を回り、設備とレシピをノートに写し取った。ウイスキー造りのキーマンである社員とは、一緒に蒸留所を回った。同じ景色を見ることが、人を動かす最速の方法だと知っていたからだ。加藤さんの情熱に刺激され、最高のウイスキーをつくるという気持ちが社内に伝播されていった。

2022年秋、ついに高藏蒸留所の釜に点火。それは失われた時間が、音を立てて巻き戻るようだった。梅酒樽で後熟させ、甘やかな香りと和のニュアンスを引き出す。

やがて、一年物のこのウイスキーは、日本唯一、かつアジア最大級の蒸留酒品評会”東京ウイスキー&スピリッツコンペティション 2025”の洋酒部門で金賞を受賞した。

加藤さんの視線は熟成庫の奥、まだ誰も味わったことのない樽の向こうに向いている。経営危機を越え、そのさらに先へ。挑戦を燃料にして走る蔵に、再び火が灯った。

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