あけぼの印刷社の進化を支える原動力は、山田周社長自身の原体験にあった。劣等感、挫折、そして敗北感──そのすべてが「変化し続けなければ生き残れない」という強い信念を生んだ。組織も人も、変われる。その体験が、社長としての哲学になった。

代表取締役社長 山田 周(やまだ しゅう)
株式会社あけぼの印刷社の代表取締役社長。1974年茨城県水戸市生まれ。大学卒業後、大手通信会社に約11年勤務し、2015年に家業へ入社、代表に就任。通信業界で培った企画・営業力とITの知見を活かし、「情報伝達業」としての印刷の新たな価値を模索する。社内改革・デジタル化・POD導入・社員のリスキリング推進など、伝統と革新を融合させた経営を推進している。

株式会社あけぼの印刷社
1946年(昭和21年)創業、茨城県水戸市に本社を置く総合印刷会社。資本金3,000万円、従業員約90名。早くからDTP・CTP導入し、社内IT化や工程管理を推進。印刷だけにとどまらず、Web連携・POD印刷、看板デジタル・物流一体サービスなど、多様な情報伝達ソリューションを展開。社員育成や社内活性化にも力を注ぎ、「伝えること」を軸に成長を続けている。
社長の山田周さんは、なぜ変化を求めるのか
前回の記事で、老舗印刷会社のあけぼの印刷社が、どのように事業領域を広げてきたかを紹介した。あけぼの印刷社の社長、山田周さんには、常に変化し続ける姿勢があった。
なぜ、彼は変化を恐れず、むしろ積極的にそれを求め続けるのか? その理由は、山田さん自身の個人的な経験、特に「劣等感」や「挫折」が、変化への強い、時には執着とも言えるほどの原動力として息づいているのだ。
時代に合わせた変化が必要なことはわかっている。それでもリスクを考えて、行動に移せない人もいるだろう。山田さんの変化への強いモチベーションはどこからきているのか?彼の半生と照らし合わせながら深掘りしていこう。
劣等感が変化のバネに。大手通信会社で見た「光と影」

それは、彼自身の若き日の「劣等感」という、非常に人間臭い経験に深く根差していた。
県内で最も偏差値が高いとされる進学校。毎日6時間の猛勉強を重ね、この学校に入学した瞬間、彼は「人生の勝ち組」になったと思った。だが、入学してすぐ、自分で数学の公式を編み出すような「天才」が周りにいることを知り、思い知らされる。「俺は、劣等生なんだ」と。
「劣等生だ」と思い知ったまま、大学に進学。劣等感を描きながら、絵に描いたようなレールに乗っていた。劣等生であることを自認しながらも、それを否定したい自分も消せないまま過ごす日々。
小さな反抗だったのだろうか。社会人になってからは、ギターを背負って出社した。人と違ったことをしたい願望。バンド活動のライブで鳴らす音は、まさに魂の叫びだった。だが、共に音を鳴らす仲間は学歴とは関係なく、音楽で輝いていた。山田さんは、その仲間たちに、音楽でも太刀打ちできなかった。
電車の窓に映る自分に、彼は問いかけた。「俺って、本当に何ができるんだろう」
誰かの後ろを歩いているだけでは、いつまでたってもこの劣等感は消えない。だから、自分で音を鳴らすしかなかったのだ。
そんな彼が入社したのは、当時携帯業界最後発だった某大手通信会社。入社後ITベンチャー企業に買収されるが、その中で彼はバンドをやっているということで、「着うた」という当時最先端だった携帯音楽の戦略部門に配属された。社内の精鋭が集まり、ユーザーから求められる華やかな舞台。しかし、その栄光は長く続かなかった。AppleのiPhoneの登場で、音楽配信ビジネス環境は一瞬で塗り替えられ、事業環境は大きく変わった。
「成功は一瞬で消える」「昨日の栄光は、今日の瓦礫だ」
この崩壊の中で、山田さんは強く思った。「変わらなければ、生き残れない」
今まで成り立っていたことが、外部環境の変化によって一瞬で変わるという経験が、彼にとって、自ら流れを作り、変化を起こしていくための強烈なエネルギーになったのだ。
単なる野心や向上心だけでなく、自分の存在意義を問い続けたコンプレックスこそが、変化への強力なバネとなったのである。
買収後の経営者の一言が、最下位からの逆転を導いた

さらに、彼の変化への信念を決定づけたのは、ITベンチャー企業に買収された直後に経験した「光と影」だった。買収されるまでは社内は業界万年最下位の諦め。その空気が変わったのは、買収のあとだった。
全社員が日比谷公会堂に集められた。そこで新経営者が放った一言——
「1番になるぞ」
誰もが「競合に勝てるはずない」と思っていたし、勝負しようとすら考えていなかった。
一種、冷ややかな会場のステージに立ちながら、新経営者は語り続ける。発せられる言葉のどれにも、嘘や虚栄は感じられなかった。1時間近く、休憩も取らず、水も飲まずに熱く語りかける。
本気で「勝つ」と言っている。次第に、負け癖がこびりついていた社員たちが、その気にさせられていく。下を向いたままでいるほうが分が悪い。そんな雰囲気に飲まれていく。
「これがムーブメントか」
山田さんの心にも火がついた。本質的には負けず嫌いである自分。諦めムードが一変し、会社が大きく変わっていくのを目の当たりにした。「人は、そして組織は変われるんだ」という強烈な成功体験となった。
誰もが彼は特別だという超大物経営者。しかし彼も同じ人間である。「いつか自分も、彼のようにこんな空気をつくれるようになりたい。番狂わせを実現する人間になる」と思い定めた瞬間だ。
閉塞感を脱却する。社員を巻き込む「変化」への挑戦

前職での「人は変わる」という実体験から、山田さんは社員にも「変化を楽しめる」ようになってほしいと願っている。
そのための具体的な施策として、各部署ごとに損益計算書を作成し、数字で経営を見る視点を養わせる取り組みを進めている。これは、単に会計知識を身につけさせるだけでなく、「変化しないことのリスク」を社員一人ひとりが数字を通して実感するための、極めて実践的な仕掛けと言えるだろう。
さらに、社員に刺激を与え、変化への意識を高めるための投資も惜しまない。さまざまな業界の外部の専門家を招いて定期的に社員を指導してもらったり、海外研修まで実施しているという。
これは、かつて彼自身が前職で感じたような、組織全体が一体となって目標に向かう「熱気」や、事業を「自分ごと」として捉える当事者意識を、あけぼの印刷社という組織全体で作り上げようとしていることの現れだ。
次世代を育てるという強い意思と、彼らが自ら変化を生み出す人材となることへの期待が強く感じられる。
山田さんの現在の夢は、“地方だから“中小企業だから“斜陽産業だから”という閉塞感から脱却し、ワクワクする会社にすることだ。
「この地域に新しい伝説を作るぞ」といった文化的な意味合いやロマンを重視している。自身の経験で得た「変化の面白さ」を、会社を通して地域にも広げたいという思いがあるのかもしれない。
編集後記:変化の中にこそ未来がある
劣等感をバネにし、成功も失敗もすべて学びへと変え、常に変化し続ける。この姿勢が、仕事の本質なのだろうと、山田さんと話していて感じました。劣等感を抱えたら、それを言い訳にして生きるという選択をする人もいるのに、山田さんは、だからこそ挑戦して打ち勝つんだ!という姿勢で生きてきたのが、最高にかっこいい。山田さんは前しか向いていません。そして、どうしたら出来るかだけを考えていました。さらに、「失敗も良い学びになったからOK!」というスタンス。新しい”コト”を生み出す人として必要な姿勢を、全て持っているような人でした。山田さんに経営をさせたら、印刷会社でも他の企業でも、きっとどんどん新しい取り組みを広げていくのだろうなと。同じ茨城出身として誇らしく思いました。そして何より、自分も変わることのリスクを恐れて、現状維持に甘えていることはないかと自問自答させられる機会となりました。「現状維持は衰退」という、耳の痛い話だけど、生きる上でとても大事なことを気づかせてくれる機会でした。
