コロナ禍──それは、多くの経営者にとって試練のときだった。茨城県ひたちなか市に本社を構える小野写真館も例外ではなかった。売上9割減、倒産の二文字が現実味を帯びるなか、逆境に立ち向かい、むしろ飛躍のチャンスと捉えた人物がいる。小野哲人社長だ。「落ちるとこまで落ちたんです。もう、あとはやれることをやるしかないって吹っ切れました」。そう語る小野さんの眼差しには、修羅場をくぐり抜けてきた力強さが宿っていた。

代表取締役社長 小野哲人(おのてつんど)
青山学院大学を卒業後、外資系金融企業GEキャピタルで勤務した後、アメリカのBrooks Instituteで写真を学び、帰国後に家業である小野写真館を継承。二代目社長として企業ブランディングを重視した経営に転換し、売上を10倍にまで伸ばす。コロナ禍では「自分がコントロールできることに集中する」という経営哲学にたどり着き、資本政策とM&Aによる大胆な事業拡大で逆境を乗り越えた。挑戦を恐れず、攻めの経営を実践する注目の経営者である。

株式会社小野写真館
1975年に茨城県ひたちなか市で創業した小野写真館は、記念写真、成人式、七五三、ブライダルなど、人生の節目を彩るフォトスタジオとして親しまれてきた。2025年には創業50周年を迎える節目の年となる。近年は振袖レンタル、美容着付け、ウェディングプロデュース、宿泊・観光事業、育児記録アプリ「BABY365」の運営など、多角的な事業を展開。全てのサービスの根底にあるのは、「世界に笑顔、幸せ、感動を連鎖させる」という企業理念である。
金融マンから写真館の二代目へ──順調だった経営を襲ったコロナ禍
2006年に小野写真館を先代の父から事業継承した小野さん。経営参画以降、ブライダルや七五三、成人式といった人生の節目に寄り添い、写真という形で“感動”を届ける企業へと成長を遂げ、売上を10倍にまで伸ばしてきた。
周囲の経営者が一目置く、敏腕経営者だ。しかし、2019年4月。新型コロナウイルスの蔓延によって緊急事態宣言が発令されると、同社の売上は瞬く間に9割減へと落ち込んだ。
「もう、何をどう頑張ってもお客様が来ない。社員に給与は払い続けなきゃいけないし、先がまったく見えなかった」
1ヶ月間、小野さんは何もやる気になれず、とにかく塞ぎ込んでいた。世間は外出自粛。自宅のソファに寝転び、テレビから流れるコロナのニュースに、表情は暗くなるばかり。このまま日常は戻ってこないと感じるほどに悲観的になる。
そして思っていた。自分は悪くないと。「こんな未曾有の大災害、経営者の責任じゃない」。
スマホを開き、助成金が手厚い業種のニュースを見て妬んだ。当時、飲食店には全国的かつ規模感の大きい給付型支援が充実していた一方、写真スタジオには特化型の支援制度は少なかった。
誰のせいにもできないコロナウイルスを恨み、政治に当たり、誰かを羨み、どうして自分ばかりが──と1日中ずっと自問自答する日々。そして頭をよぎる、倒産の2文字。
「家族にも、倒産するかもしれないと伝えました。あの頃のことは、今でも思い出したくありません」
「コントロールできることだけに集中する」──経営者として覚醒した瞬間

小野さんは、落ちるところまで落ちた。どこまでも誰かのせいにしていたかった自分。問題と向き合うことを避けていた自分。売上9割減という、信じたくない事実が現実となった時、経営者として売上を10倍にした実績を持つ小野さんでさえも、弱い自分と対峙せざるを得なかった。
1ヶ月が経った頃、ある本の一文が、小野さんの目に止まった。
「会社は経営者次第でいくらでも変わる」
富山和彦著の『コーポレート・トランスフォーメーション』の一節だ。「俺が今考えている事の9割は、自分が全くコントロールできない事。政治に腹を立てるなら、自分が政治家になれば良かった。でも俺は経営者の道を選んだ。そして自分の会社の経営は、9割自分で決められる。だったら、そっちに時間を使った方が良いのでは?」
会社を立て直す。その決断ができるのは会社のトップしかいない。コロナは誰も責められない天災だ。何もせず、誰も助けてくれないと嘆いていても倒産するだけ。だったら、自分に変えられない事を考えても仕方ない。自分にできることをやり切るだけだ。
小野さんは開き直った。「落ちるところまで落ちたのが良かったんです。落ち込み切ったところで上を向けたから、後は上がるしかないというマインドになれた」
以降、小野さんは国や県の方針、そして感染状況に振り回されるのをやめ、自分がコントロールできることにだけに集中すると固く決意した。
見方を変えて、倒産から挑戦の機会に
外資系金融企業のGEで働いていた時代は、顧客である法人をファイナンスの観点から支援するのが小野さんの仕事。企業の資本政策を徹底的に鍛え抜かれ、表彰されるほど会社で成果を上げていた。
そこに強みを持つ小野さんは、低金利や助成金を活用すべく、とにかく資金を集めた。
「金融の目線で考えると、コロナのおかげで、中小企業では考えられないぐらい低利で長期の融資を引ける環境になったんですよ。逆に言えば、すごいチャンスと思いました」
資金集めの目処を立てた小野さんは、社員へメッセージを伝えた。「誰もリストラしないし、誰の給与もカットしない。これからも小野写真館で働いて欲しい」
外出自粛で出勤することすら許されず、売上は9割減。1ヶ月間も音沙汰が無い社長に、仕事を失うことを覚悟した従業員達は、この言葉にどれだけ安堵したか。しかし驚くべきは、その先の判断だった。
「資金調達をしてわかったんです。ここから数年間は、従業員に給与を払い続けても倒産しないと。だったら、逆に好機と捉えて、チャレンジしようって決めました」
待つより、攻める──M&Aで会社を“生まれ変わらせる”

持ち直した資金体力をもとに、小野氏は次なる一手へ動き出す。選んだのは、ただ耐え忍ぶことではなく、リスクを伴う“チャレンジ”だった。
これまで、七五三撮影、成人写真、ウエディングの3つのポートフォリオで経営をしてきた。しかし、コロナ禍では3つ全てが崩れてしまった。再びコロナ禍となった時、同じことを繰り返したら経営者の責任だという。
「今回の一件で、自社の経営ポートフォリオでは限界があると痛感しました。だから、事業領域そのものを変える必要があったんです」
目をつけたのはM&Aだった。M&Aサイトを毎日見て、この会社を買うとしたら、自社のアセットを活かして何ができるか?を考え続けた。初めてM&Aをしたのは、伊豆の小さな温泉宿。コロナ禍でも、家族で一棟貸切ウエディングができると考えた。
その後も事業領域の多角化を一気に加速。宿泊施設、フォトブックアプリ、振袖レンタル、美容着付け、ウエディングプロデュースまで、自社のアセットを活用して事業展開が見える会社をM&Aし続けた。
「今やM&Aの売り手から引っ張りだこですよ(笑)」
M&Aをする際、買い手側のライバル企業のほとんどは、M&Aを経験したことが無い。そのため、M&Aのノウハウもなければ、買収後に経営を再建した実績もない。売り手企業からすると、大事な従業員を解雇されるなどの不安がある。このため、信用できる買い手でなければ、金額が高くても会社の売却を躊躇するケースが多い。
これに対して小野写真館は、過去に複数社をM&Aした実績がある。買収後は従業員を解雇することもなく、売り手企業の意見も汲んで事業方針を決めているため、売り手企業からの満足度が高い。実績から生まれた信頼感は、新たな売り手企業が、“あなたに買って欲しい!”と思うポイントになる。
「誰かの感動をつくる」その本質は変えない

会社を継いだ2006年当初は売上約1.8億円、借金4億円。
大胆な経営変革を成し遂げ、現在では売上を約10倍まで伸ばしている小野写真館だが、根底にある想いはブレていない。
「写真館だろうと宿だろうとアプリだろうと、全部“感動”をつくるための手段なんです。人の人生の節目に立ち会って、喜びや幸せをカタチにする。それが僕たちの仕事だから」
どん底から這い上がった男が見据えるのは、数字ではない。従業員の人生、お客様の笑顔、そして“感動の連鎖”という理念だ。
次回予告
コロナ禍で売上9割減の事態から、見方を変えて、低金利で資金を調達し、M&Aの投資に踏み切った。変化を恐れずに動き続ける、胆力と行動力が、倒産の危機から飛躍の機会へと変えた小野さん。その裏には、壮絶な苦悩と自己との対話があった。後編では、そんな彼が人生で成し遂げたいこと、そして“幸せ”に対する価値観の変化に迫る。