目立ってはいけない、それが下請けの掟だった——それでも動いた社長が、エビ養殖に懸けた2年|エムテック 松木徹

茨城県ひたちなか市で精密切削加工を手がける株式会社エムテック。

祖父の代から70年以上続く町工場が、コロナ禍をきっかけに全く畑違いのエビ養殖に参入した。補助金を待たず、5,000万円の自己資金を投じて、業界では異例の2年で販売開始という結果を出した。

エビはNHKでも取り上げられ、新宿の高級天ぷら店からも注文が入る。今では東京の大手企業からも視察が来るまでとなった。実行者である、3代目・松木徹さんの新規事業を形にしたストーリーに迫る。

DOITER

代表取締役 松木徹さん


株式会社エムテック

目立ってはいけない、それが下請けの掟だった

茨城県ひたちなか市で、CNC旋盤による精密切削加工を営む株式会社エムテック。祖父が戦後の1949年に興し、1959年に法人化した会社を、松木徹さんは3代目として率いている。

先代は、自動車部品の下請け製造を事業の柱としてきた。大手メーカーの成長と共に歩んできた時代であり、その恩恵を受けてきたのも事実だという。

ただ、その関係の中には、ある種の”掟”もあったという。

「目立っちゃいけなかったんですよ、我々は」

松木さんはそう振り返る。取引先以外に手を広げることは、あまり歓迎されない空気があった。2016年頃、市内の企業数社とともにアメリカの展示会に出展したことが新聞に取り上げられた際も、取引先にあまり良く思われなかった。目立つことは、下請けという立場では簡単に許されることではなかった。

しかし、そうも言っていられなくなった。自動車業界のEVシフトが一気に加速し、ガソリン車向けのエンジン関連の仕事は、2025年頃にはなくなる見通しとなった。エムテックの自動車関連の取引先は1社にとどまらず、複数の会社と付き合いがあったが、そのほとんどがエンジン関連の仕事だった。

加えて国内市場そのものが少子高齢化で縮小し、大手メーカーですら家電を作らなくなっていく。長年培ってきた下請けの技術力だけでは、この先を生き抜けない——そんな焦りが、松木さんの中で静かに大きくなっていった。

じゃあ、俺が一番最初にやればいい

転機は、思いがけないところからやってきた。コロナに家族で罹患し、自宅から出られない日々が続いていたときのことだ。目の前にあったのは、松木さんが趣味で飼っていた錦鯉だった。

新しくビジネスをやるなら趣味を活かしたい——そう考えた松木さんは、ドイツに持つ営業拠点を頼りに、錦鯉の海外輸出を思いつく。ドイツやオランダでは錦鯉の人気が高く、勝算はあるように見えた。

しかし調べていくと、生き物を水ごと輸出するには農林水産省の検疫・輸出許可という高いハードルがあることがわかった。簡単には進められない。

そこで水産業について調べを広げる中で、松木さんはあることに気づく。エビ養殖が、日本国内でこれからブームになりつつある。そして、地元・茨城ではまだ誰も手をつけていない。

「じゃあ、俺が一番最初にやればいいじゃん」

理由は単純だったという。エビは病気に強く成長も早い。初期投資もそれほどかからない。「同じ水中生物だから、鯉もエビも一緒だろう」と笑いながら語る松木さんだが、そこからの動きは早かった。

補助金の活用も検討したが、採択を待っていてはスピード感が失われる。だから、全額を自己資金でまかなうことに決めた。その額、5,000万円。

「うちは無借金経営なんですよ、ずっと」と松木さんは言う。「資産を持っておけ、時代の流れはどうしてもあるから、いざという時には自分でリスクをとって、新しい事業を始められるように——」それは、先代から受け継いだ教えでもあった。2023年9月、エビ養殖はこうして動き出した。

2年で販売開始、地域の力を借りたブランドづくり

2024年、陸上養殖の届出制度が新設された年。松木さんの会社は、茨城県内で届け出た7社のうちの1社として、制度開始と同時にスタートを切った。

そして、開始からわずか2年で販売開始。病気などの影響で、販売開始までには一定の時間がかかるのが常識とされるエビ養殖の業界では、なかなか無いスピードだという。

結果を後押ししたのは、地域性を生かしたブランドづくりだった。このエビには、ハルカエビという名前がついている。茨城県産のさつまいも品種、紅はるかの干し芋を餌にしているのが特徴だ。県の名産品を掛け合わせたこの一手は、地元の居酒屋や高級寿司店からも注目され、じわじわと人気が広がった。

さらに、その取り組みはNHKの首都圏ニュースでも取り上げられ、育てたエビは築地や豊洲市場、更には新宿の高級天ぷら店からも引き合いが来ている。

それだけではない。陸上養殖へ参入を目指す東京の大手企業や、同業者である地方で製造業を営む会社、更には漁業関係者からも多数の視察や相談が来るまでになった。

補助金を待たずに自己資金で動いたスピードは、養殖を始める場面だけでなく、ブランドを育てる場面でも生きた。誰かの許可や採択を待つのではなく、思いついたらすぐ形にする——その姿勢が、参入からわずか2年という異例の早さで結果につながったといえる。

「1番じゃなきゃ意味がない」、その先にある景色

松木さんのこだわりは、エビをただ育てて売ることでは終わらない。

「1番じゃなきゃ意味がないな、と。2番じゃダメなんですよ」

ブランド化と商標登録を進めながら、次に見据えるのは、仲間の製造業が始めた障害者雇用の福祉事業との連携だ。障害者雇用でエビを育て、加工から販売までを一貫して担う——そんな新しいビジネスモデルを構想している。さらに、とある自治体の廃校を活用した事業拡張のプロジェクトも動き出しているという。

その先にあるのは、会社の成長だけではない。

「最終的には、茨城県を元気にしたいんです」

松木さんは県の総合計画審議委員も務めており、地域全体の未来を見据えた視点で、次の一手を考え続けている。

下請けの時代、目立つことは許されなかった。それでも一歩を踏み出した町工場の3代目は、補助金を待つ安全策ではなく、自分でリスクを背負うスピードを選んだ。その選択の先に、エビの完売という結果と、地域を巻き込む次の構想が待っていた。

何もしなければ、緩やかに衰退していく。それに抗うならば、リスクをとって新しい事を始める以外に方法はない。縮小市場の中でもがいている企業は沢山ある。一歩踏み出した松木さんの背中は、そんな企業の経営者達に、そっと勇気を与えるだろう。

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