家業を継ぐか迷っている人、家業を継いだが、何を目指して、どう事業を進めれば良いか迷う人もいるだろう。東京のITエンジニアから、酒蔵の蔵元に転身した井坂さん。家業を継ぐ意思決定をした人だ。井坂さんは何を想って、酒蔵を継いだのか。根底にあったのは、限られた人にだけ許された権利の行使と、それを守るという使命だった。井坂さんのビジョン経営は、キャリアの分岐点や、事業の方針を決める時のヒントになる。彼の選択の理由を知り、守るための挑戦のストーリーに触れることで、事業家が悩んだときのヒントが見えてくる。

専務兼蔵元杜氏 井坂 統幸(いさか むねゆき)
茨城県常陸太田市・井坂酒造店12代目専務。茨城県里美地区出身。東京でシステムエンジニアとして勤務後、2018年に地元へUターン。「地酒はその土地を連想できるもの」と語り、酒蔵の文化を守るため、杜氏へ転身。2020年から蔵元杜氏を務め、日本酒の製造・販売に従事。新たな日本酒の設計も手がけ、里美地区に新たな風を吹かせている。

合資会社井坂酒造店
井坂酒造店は1818年(文政元年)に里美地区で創業、今年で創業207年を迎える老舗酒蔵。本蔵は明治32年築の土蔵造りで伝統を今に伝える。越後杜氏の技を継承した淡麗辛口の「日乃出鶴」、古代米を使った薄紅色の「紫しきぶ」、焼酎「亀乃寿」など多彩な品揃え。地域の米・水を活かし、「飲んでうまい酒」をモットーに地元と共に歩み続けている。
「酒蔵の文化を守るために事業をする」──その覚悟
地地方の伝統産業が静かに消えていく中で、逆行するように挑む人がいる。東京でITエンジニアとしてプログラミングをしていた、井坂統幸さんが、30歳で突如、江戸時代から続く酒蔵の店主に転身した理由。それは、明確な”ビジョン”があったからだ。
では、井坂さんのビジョンとは何か。
経営者である以上、利益を求められるのは宿命ではある。ただし井坂さんのビジョンは明確で、それは自らの承認欲求や売上や利益の追求とはベクトルの違うところにあった。
酒蔵の文化を守る。いち企業の存続や自己実現とは程遠い、文化の担い手としての使命だった。
「やりたいことが明確だから、ぶれない」──その姿勢は、多くの経営者にとって指針となるだろう。事業とは「何をしたいか」から始まる。そんな当たり前のことを、改めて思い出させてくれた井坂さんのビジョンに触れるために、井坂酒造の歴史から紐解いてみたい。
200年続く“文化財”のような酒蔵

茨城県常陸太田市、里美地区。山間にひっそりと佇む井坂酒造店は、1818年創業。今から200年前の1825年というと、江戸幕府が異国船打払令を出した時だ。
山間部の里美地区を訪れると、昔ながらの田舎の情景に、ゆったりとした時の流れを感じる。山から湧き出る清らかな水。その水が流れる川では、綺麗な水にしか生息できない鮎が獲れる。豊かな自然。それを脈々と守り続けてきた人達。ここでしか出せないお酒の味がある。
井坂酒造店の酒蔵の中には、江戸時代から使われている道具や、世代を超えて語り継がれてきた酒造りの手法が今も息づいている。そんな井坂酒造店は、まるで文化財のように、ひっそりと、しかし確かに地域に根を張って生きている。
そんな酒蔵は、地元の伝統と文化を象徴する存在だ。かつてこの地には4軒の酒蔵が存在した。だが今、残るのは井坂酒造店ただ1軒。経営難や後継者不足で次々と廃業していく中で、なぜここだけが生き残ったのか。その答えは、蔵元である井坂さんの想いにあった。
エンジニアが突然蔵元になった理由
井坂さんは小学校までこの酒蔵で育ち、中学から東京へ出た。大学を卒業後はITエンジニアとして順調なキャリアを築いていた。だが、帰省するたびに、地元の風景や人々の温かさに胸を打たれた。なにより、地元のおばあちゃん達の笑顔が、彼の心に残って離れなかったという。
「帰って来た時に、地元のおばあちゃん達が優しいんですよね。人の温かさを感じて、これが地元の魅力なんだなと気づきました」
東京で忙しく働く日々の中、ふと立ち止まった瞬間があった。ふるさとの風景を思い出したとき、心に湧いたのは「この空気が消えるのは嫌だ」という感情だった。それは損得や合理性とは無縁の、本能的でまっすぐな気持ちだった。
「酒蔵を継ぐなら早い方が良い」他の酒蔵が廃業に追い込まれる中で、そう思った井坂さんは、30歳のとき、エンジニアを辞め、実家の酒蔵を継ぐ決断をする。そこには、「この文化を守りたい」というビジョンがあった。事業とは、叶えたい目的のためにやるものだ──井坂さんの生き方は、そう教えてくれる。
酒蔵の文化を守りたい。そのために事業をする。

井坂さんが守ろうとしている「文化」は、酒そのものではない。人の優しさ、誠実さ、心のあり方、そして地元の空気感。それは数字では測れないが、確かに人の心に届くものだ。井坂酒造店には、それがある。
麹菌が解明されてない江戸時代、酒造りは「神の技」とされ、敬われていた。井坂酒造店には、その精神が今も息づいている。酒蔵の入り口の神棚に手を合わせて始まる仕事は、祈りと感謝の象徴だ。
おもてなしの心もまた、誠実さの継承の一部だ。来客にはお茶と和菓子で迎えるその姿勢は、効率では測れない“心の仕事”である。製造工程にもその精神が宿る。酒を搾る「しぼり」では、多くの蔵が最新機器を使う中、井坂酒造店はあえて古いプレス機を使い、低圧でゆっくりと搾る。麹菌を傷つけず、まろやかな味を引き出す伝統の技だ。
さらに、77歳の職人が今も現役。手間と誠実さを重んじる姿勢が、味に深みを与える。同時に、地元の誇りと雇用の場を守っている。つまり、時間と手間をかけてでも、誠実さ、そして美味しさを優先する。それが井坂酒造店の価値なのだ。
「この酒蔵は文化財だと思っています。建物も、やり方も、心も、人も。全国的に酒蔵が廃業する中で、たまたま自分は酒造免許をいただけた。文化を継ぐことが、自分にしかできない役割だと腹落ちしました」
日本で数少ない酒造免許を手にしたら、ありがたく受け取り、そのまま使い続けるだけの人も多いかもしれない。しかしそれを、「酒蔵の文化を守る」と捉え直し、自分の使命と決めた井坂さんの信念を貫く姿勢は、心から尊敬に値する。
次回予告
井坂さんは、明確なビジョンを持って蔵元になることを決めた。自らの原体験から生まれた、大切にしたい価値観を、大切にする人生を選んだのだ。想いはあっても、実績が伴わなければ守りたいものは守れない。多くの酒蔵が淘汰されている中で、井坂酒造店は何故生き残れているのか?世界に向けた日本酒の発信、また、海外の観光客を日本の酒蔵に呼び込むなど、井坂さんはこれまでに様々な活動をしてきた。次回は、酒蔵の文化を守るための、具体的な取り組み内容と、井坂さんが今後何をしたいかに迫る。