若き日、自分こそが世界を変えるのだと信じ、燃えたぎる情熱と野望を持っていた人も多いだろう。自分の力で何かを成し遂げたい、周囲に認められたい──その思いが心を駆り立てた。
小野写真館の社長、小野哲人さんもまた、そんな野望を持つ一人の青年だった。外資系金融企業のGEで働いていた時代は、顧客である法人のお金を増やすのが小野さんの仕事。企業の資本政策を徹底的に鍛え抜かれ、表彰されるほど会社で成果を上げていた。スピードと成果がすべての世界に身を置き、評価と報酬を糧に突き進む日々。
成功の尺度は「数字」であり、その数字に興奮し、自分の存在を証明するように働き続けた。「ドーパミンが出るような幸せでしたね。承認欲求を満たす毎日で、成果を出すほど報酬もついてくる。自分にとって、外資は最高の環境でした」小野さんはそう笑って振り返る。
だが、その“興奮”は永遠には続かなかった。50歳になった今、何を思うのか?小野さんが気づいた本当の幸せとは。

代表取締役社長 小野哲人(おのてつんど)
青山学院大学を卒業後、外資系金融企業GEキャピタルで勤務した後、アメリカのBrooks Instituteで写真を学び、帰国後に家業である小野写真館を継承。二代目社長として企業ブランディングを重視した経営に転換し、売上を10倍にまで伸ばす。コロナ禍では「自分がコントロールできることに集中する」という経営哲学にたどり着き、資本政策とM&Aによる大胆な事業拡大で逆境を乗り越えた。挑戦を恐れず、攻めの経営を実践する注目の経営者である。

株式会社小野写真館
1975年に茨城県ひたちなか市で創業した小野写真館は、記念写真、成人式、七五三、ブライダルなど、人生の節目を彩るフォトスタジオとして親しまれてきた。2025年には創業50周年を迎える節目の年となる。近年は振袖レンタル、美容着付け、ウェディングプロデュース、宿泊・観光事業、育児記録アプリ「BABY365」の運営など、多角的な事業を展開。全てのサービスの根底にあるのは、「世界に笑顔、幸せ、感動を連鎖させる」という企業理念である。
売上10倍でも、満たされなかった10年間
GEでの刺激的な日々。起業をする将来も考えていた。そんな小野さんに、転機が訪れる。
26歳の時、母親に、家業の写真館を継いでくれないかと懇願されたのだ。年老いて少し小さくなった母の背中。考えた末に、家業を継ぐことを決めた。こうして家業である小野写真館を継ぎ、経営者として新たなステージに立った。
「俺がやるからには、絶対に成功してやる」
ある種のぶっ飛んだ欲望をエネルギーに、企業ブランディングを徹底し、売上を10倍にまで引き上げた。だが──心の奥底では、満たされないものが燻っていた。
「横を見れば、青学の同級生だった上場企業の社長、有名IT企業の社長といった成功者がいる。自分だって頑張っているのに、なぜそこまで行けないのか。そんなふうに、ずっと人と比較して苦しかったですね」
どんな世界にも、上には上がいるものだ。上場企業の社長など、スター経営者と比べてしまう。数字を上げても心が晴れない。努力と成果が比例しないことに焦りと虚しさを感じ、人と比較して落ち込む時期が10年近く続いたという。
そんな小野さんを変えたのは、自社の写真館で目にした一つの“風景”だった。
写真が教えてくれた、本当の価値

ある日、小野さんは店舗で、写真を受け取って涙を浮かべる顧客を見た。家族写真、成人式、ブライダル──人生の節目を写真に刻む瞬間。その側で、スタッフがもらい泣きをしていた。
「外資系金融会社では、数億円の金が動いていました。しかも現金を目にすることはなく、PCの画面の中だけで行われる取引。顧客の顔なんて見えませんでした。儲かるか儲からないかが重要で、顧客を選ぶ時も、単価が高いか低いか、それだけ」
小野さんはさらに言葉を続ける。「それがここでは、3万円のやりとりをしながらも、涙を流している人がいたんです。それを見て心が満たされている自分に気づいたんです。あぁ、自分が本当にやりたかったのは、これだったのかもしれないと」
母の願いで継いだ家業の写真館。特段、写真に興味がある訳ではなかった。しかし、この出来事をきっかけに、写真館の素晴らしさを感じた。人の感情に寄り添う写真の力。それを事業として届けている自分たち。写真館の経営者、その価値に、温かい幸せと誇りを感じたのだ。
これが、小野写真館を守るために戦う原動力になった。そこで涙する社員たちの泣き笑いを、これからも見続けるためにーーーー。
50歳の誕生日に感じた「別の幸せ」

そして迎えた50歳の節目。数年前にがんを経験したことも影響し、人生の終わりをリアルに意識するようになったという。
「若い頃のギラギラした幸せも好きです。でも、幸せの種類が変わってきたんです。最近は、温かい幸せの“総量”を増やしたいと思うようになった」
その思いを確信に変えたのが、社員や顧客とともに開いた小野写真館の“感謝祭”だった。写真を撮影したお客様と社員を集めて、定期的に感謝祭を開いている。
800人が写真館に集まったその日、会場のあちこちで、顧客と社員の話し声が聞こえた。
「結婚式の写真、一生の思い出になりました。ありがとう」「3歳で七五三の撮影をした子が、小学生になったんですよ。あの時娘を笑わせてくれてありがとう」
交わされる笑顔と言葉、人生の大切な1ページを一生懸命彩ってくれた社員に対する、感謝の言葉と涙が溢れる。その光景に、小野氏は心が満たされる温かい幸せを感じ、写真館をやっていて良かったと心底思った。そして静かに涙した。
「人生で今が一番、幸せです」と語る言葉に嘘はなかった。
“写真の場”を残すことが、自分の使命

全国の写真館は今、次々と姿を消している。後継者不足、経営難、デジタル化──その波に呑まれ、地域から“感動の場所”が失われつつある。
「だからこそ、僕がやらなきゃいけない。小野写真館の資本政策力や経営改善力を活かして、写真館を再生する。M&Aや事業譲渡も含めて、“笑顔と感動が溢れる場所”を全国に増やしたいんです」
これは、ただの事業拡大ではない。人の感情に寄り添い、人生に残る1枚を生む場を次世代に残すこと。それが、自分の“使命”なのだと小野さんは言う。
「次の10年、それをやるために人生を使いたいんです」
数字と笑顔、その両方を追いかけて
もちろん、理想だけでは経営は成り立たない。
「笑顔と感動が溢れる場所を作るという理想を求めるからこそ、売上にも逃げずに向き合う。数字だけ追い求めていた20代とは違って、“温かい幸せ”と“数字”、そのどちらも追い求める両利き経営を、僕は実現したい」
数字は笑顔の総量を増やすための“手段”であり、経営はその土台である。改めて、数字から逃げることなく、両方に真正面から挑む覚悟が、彼の言葉からにじみ出る。
編集後記:“幸せ”のあり方は変わっていい
小野さんの話を聞きながら、自分自身の20代を思い出しました。がむしゃらに働き、実績を求め、誰かに認められたいと走り続けた日々。でも、結婚や子育てを経験し、気がつけば承認欲求という鎧は少しずつ剥がれ落ち、家族や仲間との時間、心の豊かさに目が向くようになりました。それでもたまに思うことはあります。同世代のあの人はすごいな、自分はまだまだだなって。そんな今、敏腕経営者の小野さんでさえも“幸せの質”が変わったと語る姿に、私は勇気をもらいました。「昔なりたかったものになれなかったけど、今、すごく幸せなんです」。その言葉が胸に響きます。“社会的成功”といった1つの物差しでは決して測れない、レースを降りた先で見つけた“幸せ”を、静かに、しかし確かに掴んだ男の生き様がここにあります。そんな小野さんに、私は共感せずにはいられませんでした。
